くだらないと思えるもの 平成29年3月27日(月)

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常々思うことだが、世の中くだらないと思えるものやちょっとしたことに真実が隠されていることが多い気がする。


たいそうに語った歴史書を読むより、各地方の「方言」、「唄」、仕事中の「かけ声」や「相打ち」などにその土地の歴史が詰まっている。


歴史は強いものの都合が良いように書き換えることができてしまうのが事実であると私は思うのです。


子供の頃から学校嫌いでした。


普通に私は嘘もつきますし、それほどよい子ではありませんでした。

いたずら好きで、両親は手を焼いたそうです。


学校の勉強よりも、昆虫採集とお絵かきばかりやっていた記憶があります。

というのも、学校の勉強が真実ではないと子供の頃から不審に思っていたからです。

子供の私ですらへいきで人間は嘘をつきます。

地位や名誉欲といったエゴイスティックな考えもすでに3歳の頃にはできあがっていました。

これが大人になって、果たしてどんな大人になるのだろうと子供の時の私は不安を感じていました。


『立派な大人になりました』イコール、夢も希望も捨て本来の私ではない作られた私になりました。と考えていたのです。


共通の知識や情報は確かに大事だと思いますが、それによって人を振り分けて社会の一員になっていくというのに嫌気がさしていたのです。


なぜなら、昆虫好きな私は学校では存在がないからです。

昆虫学者になればいいとは思いますが、子供の頃にただ単に虫が好きだという理由で、将来昆虫学者になるための努力などするでしょうか。

地球に満ちあふれたいろいろな生物がただ単に好きだというだけでした。

学問としての昆虫の生態を調べるなんてことになれば、多分いやになってしまうと思います。

社会の一員となり、立派な大人となるには職業として成り立つことを覚えなくてはなりません。


こうして、少年の夢は社会の歯車となるために抹殺されていきます。


果たして、この人は将来素晴らしい仕事をするようになるでしょうか?

素晴らしい仕事とは一体なんでしょうか?


未だに人が生きる道を見つけることができません。

多分、このまま死んでしまうと思いますが、日々のちょっとした出来事に感動する毎日が送れたら良いなと思います。


電磁波撃が始まりました。

まあ、朝から晩まで止まることはありませんが、頑丈な身体と慣れからなんとかブログを書いています。

彼らもまた、ちょっとしたことや些細なことがいかにも重要だと音声送信をします。

人がやることなすこと心のちょっとした動きに敏感に反応します。

そして、少しでも弱ったり傷ついたり、感動したり、心が躍るようなことがあるとき、すべて腐らせてくれます。


もう、なれてしまいました。

いつ死んでもかまわないと思っています。

人生のすべてを彼らに食べられてしまいました。

彼らの大問題は人を殺すことではなく「今日のご飯がおいしいかまずいか」なのです。

そのどちらでも「殺してやる」と盛り上がっています。

二十四時間人にとりついて人を殺してやると音声送信をするのが彼らの呼吸になってしまったのです。



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