不思議の国トルコで遭遇した地震とバチカン
- 平成11(1999)年8月15日~23日 トルコ語、語学旅行 へ
- イズミット地震(1999年)、1999年8月17日3時02分
トルコに到着して2日目に起きた大地震と
エフェソスにあるマリアの家を管理しているバチカンの牧師の態度に激怒!
トルコ地図 Googleマップ
トルコ語教室の先生と生徒で語学旅行
シンガポールエアライン経由でトルコ(アンカラ)に1999年8月15日、到着した。 当時通っていたトルコ語教室の先生と生徒で、活きたトルコ語を学ぶための旅行だった。
アンカラからイスタンブールへ向かい、その日はイスタンブールのホテルに泊まった。 シャワーを浴びようとしたら蛇口から錆の混じった水が出てきたときは驚いたが、日本以外の下水システムはこんなもんだろうと思った。 水道水が飲めるなんて考えられないのが世界の常識だ。
イスタンブールは想像に反して開かれた街だった。 昔、『飛んでイスタンブール』という曲で砂漠でロールなんて歌詞があったが、トルコには砂漠はない。 この曲のイメージが頭に強く残っていたようで、トルコ=アラブのような図式が出来ていた。 イスタンブールにはイスラム教のモスクが至る所に存在し、朝から何やらお祈りが聞こえるのだが、街と同化している。 中心街のメインストリートを歩くと、グランドバザールで買い物をしたり、日本の企業があったり、女性はへそを出して歩いていたりした。(当時へそ出しルックが流行っていた) イスラム教徒が99%のトルコだが、トルコ人は非常にオープンな考え方をしているなという印象だった。 他の宗教の否定をする人は誰もいないし、人に親切で差別感の無い人たちを見て、イスラム教に抱いているわたしのイメージはことごとく崩れた。
トルコ人達は口々に信仰は自由だと言っていた。
イスタンブール、グランドバザールの入り口だったかな?
1999年8月17日に地震は起きた。
Wikipedia
1999年のイズミット地震(別名「トルコ北西部地震」「トルコ・コジャエリ地震」等)は、1999年8月17日3時02分(EET、現地時間)に、トルコ北西部で発生したマグニチュード7.6の地震である。37秒もの間ゆれ続け、1万7000人あまりが死亡し、およそ60万人が家を喪うなど震源のコジャエリ県イズミット市を中心に甚大な損害をもたらした。
私たち一行はイスタンブールからチャナッカレ、そしてイズミールに行く予定でした。
チャナッカレはシェリー・マンのトロイ遺跡で有名だが、 トルコ人でシェリーマンのことをよく言う人は少ない。
時間とお金の関係でめちゃめちゃな発掘の仕方をしたらしい。 おかげでトロイ遺跡の外観はお世辞にも良いとは言えなかった。
トルコはどこへ行っても美しかったが、その中で、一番外観が汚いなと思った場所だった。
海峡に面した海軍施設があった。
トルコには徴兵制度があるが、兵隊さん達に手を振ると笑顔で手を振り替えしてくれた。
トルコに到着してから2日目にイズミット地震
確かチャナッカレのホテルだったと思う、目を覚まして部屋を出るとみんな暗い顔をしている。
大地震があったとは全くわたしは気がつかずぐっすり眠っていたのだった。
幸いにも1日移動がずれていたので命拾いしたが、1日違いで間違いなく地震に巻き込まれ、生きてはいなかったはずだ。
エフェソス聖母マリアの家
聖母マリアが晩年暮らしていたといわれる『聖母マリアの家』 19世紀まではその場所は明らかになっていなかったという。
ここはバチカンが管理しているのだが、にこやかに観光客に握手をしているバチカンの神父がわたしの顔を見ると、顔がこわばり、なんとこっちが握手を求めているのに、神父は手を後ろに回し、わたしとの握手を拒んだ。
不審に思って、しばらく神父の様子を見ていると、次々と来る観光客ににこやかに握手をしているではないか。
なぜ、わたしだけにらみつけ握手を拒んだのだろう。
写真:マリアの家
バチカンの過去を見ることが出来るというクロノバイザー
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